Vol. 1-2 Introduction II 経過

2013年に問題の肺は切ったが、のちの検査で父にはほかにも疑わしい部分ありとのこと。抗がん剤治療の後、父は放射線治療を受けることになる。記録には2014年夏、左肩甲骨放射線、11月右大腿骨と腰に放射線、2015年1月PETの結果良好とある。父の胸から肩にかけアメリカ先住民の壁画の記号のようなものが黒のマジックマーカーでびっしり描かれた写真が残っている。放射線治療の準備だったろうか。2015年7月再び放射線治療。少し気分が悪いが、まずまず元気。これから2017年3月までの期間は比較的落ち着いていて、母は仕事の合間を縫い、率先して父と出かけた。2015年8月カナダはトロントへ父の兄一家に会いに、2016年1月と8月姉を訪ねインドネシアはジャカルタへ。2月モネ展、3月アールヌーボー展、8月東山魁夷展、ほかにも美術館博物館訪問三昧。9月母校である東京農業大学同窓会世界大会で上京。鎌倉へも足を延ばし、2017年1月は別府へ。がんのことよりも弱くなった足のほうが心配だった。とにかくよく転ぶ。屋内外、横断歩道の真ん中、所構わず父はよく転んだ。そのために腕もねん挫した。そして2017年3月。またも転移が見つかり抗がん剤治療のため入院した。この時は吐き気が治まらず食欲なし。髪は抜け、顔蒼白。それでも週末は帰宅し焼酎を飲んだ。そんな初夏、8月の盆休みに父が母と姉と共にニューヨークの私の新居を訪ねてくることが決まった。

医師たちは反対した。父はまた怒鳴られた。彼らが次の放射線治療を決定した矢先の訪米の知らせだったように記憶している。父がそれまでに訴えていた痛みや違和感を主治医は相手にしなかったという。憶測だけど、そんな時に出た検査結果に医師たちは愕然とし、急遽放射線治療を決定したのかもしれない。父の右目は腫れて痛みが伴った。後頭部にはコブのようなものができ、巨大化していた。今まででいちばん痛みに苦しんでいる。出発の2週間前あたりだったろうか、そんなことを突然母から聞かされた。その翌日父と話し、今回は旅行をあきらめて治療を受けるよう説得した。父は意外に簡単にそれを受け止め、その足で放射線治療と入院の手続きを済ませてきた。その電話でのやりとりの父の一言が忘れられない。

「『もうすぐ娘に会いにアメリカに行きます』ち、○○さんに言うたばっかりやったのに。」

私はちょうどその1年前にニューヨーク州中部の田舎に家を購入していた。両親が来てくれることを楽しみにしていた。父も同じだった。

 

今日のコラージュ 『アメリカへようこそ』20×10インチ

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