Vol. 1-3 Introduction III 転機

私は父の切望していたアメリカ旅行をあきらめさせた。この放射線治療さえ終わればまた行ける、くらいに思っていた。でも父はこれが最後のチャンスだと思っていたのだろう。実はこの少し前の電話で父が、骨への転移、それがあちこちにあるというようなことをいつものごとく軽く言い流した。主治医は、これからはがんをつぶすのではなく、抗がん剤を投与しながら、がんとうまく付き合っていく方法をとると父に告げたという。鈍感極まりない私はストレートにこれを死の宣告だという受け止め方をしていなかった。これから何年も生きる人だっているというのだから。この時の面談で父は医師に向かって大声を上げたのだと、ずっと後になって父の口から聞いた。

「俺は死ぬのを待つだけか。」

この頃だ。主治医が若い医師に代わったのは。

父はこの旅行が中止になったのを自分のせいだと責め、同行する予定だった母や姉に申し訳なく思っていると実家から報告があった。母は、アメリカも私の家も逃げてはいかないのだから、次の機会までに病気を治そうと父にハッパをかけた。父はもっと酒を飲むようになった。飲んでは吐いた。誰の言うことにも聞く耳を持たなかった。遠い実家で家族が壊れかけていた。

母が今回の放射線治療の同意書の写真を送ってきた。予想される副作用に「一時的記憶の喪失 」とあった。放射線が脳のすぐそばの組織を焼くわけだからそんな注意書きがついてきたわけだが、それを見て私は父を諭したことを後悔した。というより寧ろ、パニックに陥った。もしこれで父の記憶が飛んだり、脳に障害が残ったりしたらどうしよう。やはり無理してでも旅行をさせてあげればよかった。しまった。これは私のミスだ。でももう遅い。父はその用紙にサインをし、治療のために頭部をすっぽり覆うマスクをつくり、治療の準備は整っていた。8月15日父は入院し、週5回 x 4週間の治療を始めた。

父はそのマスクを「デスマスク」と呼び、放射線技士に暗すぎるジョークをかました。

帰らねば。

行動は速かった。スケジュールを調整して、航空券を手配した。2017年8月28日、1週間の滞在予定で4年半ぶりに日本へ飛んだ。

今日のコラージュ 『Altitude Not Attitude』 20×10インチ

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