Vol. 1-5 余命

この放射線治療で後頭部のコブをやっつけたら、体力の回復を待ってから別の化学療法を試してみるということになっていた。すべて父の意向だった。

来年の5月ごろならアメリカに来れるかな。

漠然と思っていた。

アメリカに戻る前のある日の夕方、主治医と面談した。コンピューター画面でCTだかPETだかの画像を見せられた。やけに速くスクロールされるので何を見ているのかよくわからなかったが、とりあえず肩から下に進むにつれ大きく赤い部分がいくつも見て取れた。脾臓、肝臓、骨、リンパ節、そして脳を包む硬膜に転移が認められたと説明された。

「末期です。長ければ1年、半年という方が現実的です。これからは痛みとうまく付き合っていくことですね。でもいつ何が起きてもおかしくはない状態です。呼吸が止まったり、心臓が止まったり、あとは骨がもろくなるので骨折の可能性も、云々。」

顔がこわばるのがわかった。髪の毛が一斉に逆立ち、耳が遠くなる感覚があった。初めて現実味を帯びた。

チチガシヌ

深く息をしてから、このチャンスを逃すまいとノートいっぱいに記した質問事項を順に尋ねる私だったが、コンタクトレンズで乾いた赤い眼をこする、マスク顔の医師からは、もはや何の手の施しようもないのだからあきらめろ的なニュアンスが言葉の端々に受け取れた。多分そんな医師に対する意地だったろう、私はここで引き下がらない。「もし父がアメリカに来ることができるとしたら、先生はその時英語の診断書や処方箋を書いてもらえますか。」

すごい拒否反応だった。それが英語に対する拒否反応だったのか、不可能であることがどうして理解できないのかという素人に対する呆れ、だったのかはわからない。「どうせもうすぐ死んじゃう老患者を診たってつまんないよな、若いんだし、もっと面白いことやりたいんだろうな」彼に対するクールなスタンスはこの日から最後まで変わらなかった。

「お父さんには伝えてあるんですけどね。」おそらく、父が大声を上げたというあの日の宣告のことを医師は意味したのだろう。目の前にいる父は、ボケてはいないにしてもはっきりしているわけでもない。よく訳のわからないことを言って周りに不安を与える。どこまで病状を理解して、また記憶しているのか、それが誰にもわからなかった。父は冗談なのか本気なのかわからない芝居をするダークな素性を備えており、おかげで病院でも「ああいう人ですから(よくわからない)」というフレーズがしばしば聞かれた。

1週間があっという間に過ぎ、9月5日日本を後にした。

 

今日のコラージュ 『黙って聞きやがれ』 6×4インチ

 

 

 

 

 

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