Vol. 1-6 長月のころ

4週間の後頭部放射線治療を終え、2017年9月9日父は退院した。次の治療は前の主治医が勧め、父もやる気を見せていた化学治療法で、そのために26日から再び入院することになっていた。しばしの病院からの解放。のはずだったが、父のシャバでの暮らしは短命に終わった。9月20日、母が車から荷を下ろすのを手伝おうとした父はアスファルトの上で転び、後頭部を強打してしまった。脳震盪を起こしたのか、夜通しめまいと嘔吐が続いた。母の懇願をよそに救急車を呼ぼうとはしなかった。翌日病院に赴いた父は即入院。相変わらずめまいに嘔吐が続いた。9月22日看護師から母へ、父に終日ついてほしいという要請があった。父がめまいで足がおぼつかないのに病室をうろうろするため、特に少人数の週末や夜間には看護師に管理が困難だということだった。母はこの時から約1ヶ月間病室に寝泊まりし、数日に一度入浴のために数時間だけ帰宅した。朝から夕方は通常通り店を開け、その間にも病室を覗いた。店が病院のすぐ目の前だったことが幸いだった。24日に出張で北九州を訪れた弟が2泊だけ帰ってきた。この頃までには父は新聞を読んだり、一人で歩くこともできるようになっていた。26日血液と尿に細菌が見つかり、また感染症予防のために抗生物質を点滴で投与し始めた。栄養補給のための点滴も始まった。また体内の酸素量が低く、鼻にチューブを入れ酸素吸入をした。おむつをつけたのもこの日が最初で、父は輸液ポンプやら壁に配備された酸素アウトレットやらに長いチューブでつながれ、段々と自由を失っていった。当の父はそれなりに元気で、酸素は必要ないと鼻からチューブをはずしたり、点滴の針を抜いてあたりを血まみれにしたりという事件も起こした。しかしこの日のCT検査でまたもやよくない結果が出た。腎臓にも影、胸水の貯留。もはや抗がん剤は逆効果になり、この先の体力の向上は期待できない。翌日27日主治医は母に父の余命1ヶ月を告げた。

『お父様、もうダメかも。ここひと月もつかどうか?みたい。そろそろ覚悟の時期のようです。』

母から子供たちへのメッセージ。一瞬にして地球上にばらばらの3姉弟に緊張が走り、即刻携帯の画面上で4人がひとつになった。

この短期間の内に余命が1年から6ヶ月、そして1ヶ月に急降下したことを疑問に思い腹が立った。再発とか転移とかという時点で患者は自動的に「末期」というカテゴリーで処理されるということは聞いた。しかしそこから生還する人はいる。2013年からモニターされていたはずの父の体がなぜこの夏に急に余命云々と言われる状態になったのか。私にはそこに至った経緯と理由が全くわからなかった。急性のがんだと言われればそれまでなのだけど。

9月29日姉がジャカルタから帰国。私は10月6日にニューヨークから帰国。弟は10月7日に東京から妻と子を連れて帰ってきた。

今日のコラージュ  『雨はやがて止む』7×5インチ

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